太平洋戦争に突入する前年の1940年(昭和15年)年頭にあたり、麻生太賀吉氏は従来から麻生商店で実践している「滅私奉公」の精神をグループ会社全社員にも賛同を仰ぎたいと、信念のよりどころを語りました。全社員に向けて、仕事に対して私心は微塵もなく、ただひたすら国家・社会に奉仕するためだけであることを、情熱をこめて訓示しました。
これに応えて奮闘する社員の姿が、今も語り継がれています。麻生塾でも、卒業を数日後に控えた塾生が早朝から深夜まで校内に踏みとどまって労働に励み、召集令状を手にした教員が出発の前日まで教壇に立つというエピソードが残されています。
戦後、麻生塾は、創設当時の精神を遵守して、「仕事を通じて社会に貢献」を合言葉に「無私奉公」、「初志貫徹」を深く肝に銘じ、新制高校として再発足することになりました。
1959年(昭和34年)、麻生塾創立20周年にあたり、麻生塾の卒業生達は麻生塾の精神を後世に継承するために、創設者の座右の銘「無私」を石碑に刻み寄贈しました。揮毫は創設者の義父・吉田茂元内閣総理大臣です。
麻生電子ビジネス専門学校発足後、「無私」の碑は福岡キャンパスの現在の4号館の場所に移設され、教職員・学生とも登校下校の際にこれを仰ぎ、全員の心のよりどころとして建学の精神を受け継いでいきました。
その後石碑は飯塚の麻生塾発祥の地に移されましたが、「無私」を校訓として正式に位置づけ、毎年新たに麻生専門学校グループに入学してくる若い世代にその精神を伝えています。
麻生太賀吉氏が最も大事にしていた人間教育が企業の基本であるという信念、そして教育の目的は職業を通じて社会に奉仕する産業人の育成であること、そのためには自分の利益や主観や感情を判断基準から外し、広く自由な視野を持ち「無私」の精神を持って行動すること、という強い思いは、今日の麻生塾の中に生き続けています。